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k-masui.comのブログ記事

『王将餃子 ed ムービー』作品解説

2013.03.28  [1 Comment]

kenta001

★『王将餃子 ed ムービー』

1978年 8ミリ カラー 78分

★概要
一番映画館で映画を観ていた高校生の頃、その頃観た好きな映画の色んな
シーンへのオマージュを盛り込みまくった8ミリ映画です。
内容は
一言で言えば農民とお姫様の恋物語です!
それをドタバタ、アクション、コメディミュージカル
と詰め込んでごった煮した映画です。
編集が下手なのでかなりの長尺になってますが、
今のテンポと感覚で編集したら
45分ぐらいになるのではと思ってますが
下手なのもご愛嬌かと思ってますので
再編集とかは考えてないです。
タイトルの『王将餃子 ed ムービー』は当時ヒットしたコメディ
『ケンタッキー・フライド・ムービー』
をぱろったタイトルです。

★内容

オープニングは死刑執行のため木に縛り付けられている農民コロナを
華麗なドレスに身をまとったオーロラ姫が助けに来るところからはじまります。
追手をかわすために二人は夜明けに桟橋で会う約束をして別れます。
******************
逃げるコロナ、追う追手の男達、舞台は突然普通の街中になり、その中を
映画の登場人物達が追いかけっこしたりします。
そして又唐突に黒マントに黒帽子にサングラスの男がムーミンのスナフキンのテーマ曲
をギター奏でながら、現れてこの映画物語を語り始めます。
*******************
※黒マントの男が語る内容
農民のコロナとオーロラ姫が出会い恋に落ちる!
でも身分違いの恋を回りは許さない、特に王様お気に入りの魔法使いの
アジャパは自分のアホ息子アジャコとオーロラ姫を結婚させて王国を支配する
陰謀を企ているので、王様をそそのかしコロナを死刑にしようとします。
そしてオープニングの救助劇になったわけです。

********************

そして夜明け、桟橋で待つコロナの元にオーロラ姫が舟(ゴムボートを飾ったもの)
で華麗に現れるのですが、突然、河の中から現れた怪人『おしし五人衆』に
阻まれてしまいます。
拉致されるオーロラ姫、二人の仲は引き裂かれてしまいます。
ここからコロナは拉致されたオーロラ姫を探してひた走りますが、その行く手を
次々と色んな怪人が阻みます。
*********************
ここでも突然京都の繁華街のデパートや色んな場所に移動してドタバタアクションが
繰り広げられ、コロナを支援する白い森の仙人やナレーターだった黒マントの男も
普通に劇中に登場してコロナを励ましたり、
悪者が連絡に使ってるトランシーバーの電波を
運ぶ電波マンが現れたりとヘンテコナ世界が繰り広げられます。
そしてついにコロナは肉をかじりながら現れた怪力男に谷底に投げ飛ばされてしまいます。
**********************
その時オーロラ姫とアジャコの結婚式が始まってしまいます。
舞台は砂丘のような河原に立てたオープンセットで
ドアと神父の机とバージンロードと背景の
ステンドグラスだけの教会です。

『汝と汝は何時に何をしても良いのであーる。。』

アホな神父の進行で式は進みますが、誓いのキスをアジャコがしようとしたその時
ドアだけのセットのドアが開かれコロナが現れ!
力いっぱい叫びます。
『オーロラ!!!!!!!!』

ふたりは周りの人々を跳ね除けて、手に手を取って走り出します。
その時、映画『卒業』のごとく、コロナは教会のドアを十字架で閉めて逃げていきます。
実はセットの横は壁が無いので、横をすり抜ければ簡単に追いかけられるのですが
なぜか、追手は皆ドアに群がっております。

そして二人は手に手を取って、山に向かって草原を走って行くのでした。

めでたし、めでたし。。。
***********************
実はこの後監督しか観てない、カットされたシーンがあります。
二人は山に向かって走るのですが、その頂上に何故か人力飛行機があり
コロナとオーロラはその人力飛行機にまたがって崖を飛び出したところで
ストップモーションになって、飛べるのか堕ちるのか?と言った感じで
終わってるのですが、めちゃくちゃ手間がかかったこのシーンは結局カット
してしまいました。経緯は裏話に詳しく書きます。

★解説と制作の裏側

さて自分は中学生の頃、進学する気はまるでなく、漫画を描いて暮らしていこう
考えておったのですが、絵が下手すぎて苦労しておりました。
その頃、進学しない問題で周りからかなり責められておりまして、漫画描くにしても
一般教養はあった方が良いのだから高校ぐらいは行きなさいと最初はあまり気に留めて
なかった母親も学校の先生から呼び出し食らってから態度が変わり、責められるように
なりました。
とにかく一度高校を見てきなさいと、高校の学園祭に行くように進められて、あまり気乗り
せず行った学園祭で、出会ったのが映画研究部が作った8ミリ映画 
『燃えよゴンドラ』
でした。(この頃いっぱい出た燃えよドラゴンのパロディー映画)
映画は観て楽しむものであって作るなんて事は頭の片隅にもなかったですが、
高校生でも映画が作れるんだぁと目から鱗でした。
絵が下手で漫画づくりに苦労してましたが、
映画ならカメラで撮れば良いだけだし
こりゃ高校に行って映画をつくるべしと決意して進学することにしました。
**********************
すると今度は、あんたの成績だと公立高校は難しいだの、
なんだのと先生方のごたく
が始まったのですが、家は貯金などほとんど
できない性格の一家だったので
私立の高校なんぞに行く金はどこにもありません
でも幸いなことに京都の公立高校入試は当時は
4択で答えがわかってなくとも
4分の一の確立で正解してしまうのです、
冗談みたいな話ですが、小学生の頃から
超能力好きだった自分は日頃超能力を鍛える訓練をしておりました、
そのせいかテストでもこの答えを選べ問題は
8割ぐらいの確立で当てておった実績があったのです。
そして見事に勘が冴えて無事合格できました。
********************

さて、そして映画研究部に入部、
京都の高校はクラブ活動は必須だったので授業扱いです。
ゆえに部員は何十人もおります。
でも強制なのでやる気がない人が多いのです。
特に映画研究部はなんかおもしろそう、
ぐらいの気持ちで入って来る人がほとんどなので
入って早々に部長やらしてくださいと
先輩にお願いしまくって部長になりました。
そして、映画づくりにはお金がいると言う事で、
部員皆に自分のクラスの予算委員になるようにお願いして、
予算委員の半数ぐらいを映画研究部でうめて、
通年に無い高額な予算を
頂きました。

すべては映画づくりの為に学校生活を送っておりました。
ところが、ある問題が起きて、
映画研究部では映画が撮れなくなってしまいます。
(これについて書くと更に長文になるので、書きませんご想像におまかせします。)
そこで計画変更!!
文化祭で作る学級映画にすることにしました。
*******************

自分が所属する3年5組(2年生から同じ)は、
個性の強い生徒が集まっており、
クラスが出来た当初はうまくまとまりませんでしたが、
2年の文化祭で『切ぽちん』と言う強姦魔が閻魔様にちんちんを切られると言う
人形劇を上演しようとして、生徒部からのクレームで上演中止に追い込まれてから
団結するようになり、アクティブに色んな活動をするようになっておりました。
そこで、今度は自分から文化祭実行委員になり、
クラスで映画を作る事ができるように、誘導していきました。
そして、高校生活の思い出になるような映画を創ろう!!
本当は全然思ってないような事をスローガンにして、
クラス全員から4000円を強制的に徴収して
予算を作り映画の準備に取り掛かります。
(クラスは40人ぐらいなので、これで16万ぐらいには
なるのですが、結局予算オーバーで10万ぐらい自分で出してます。
ほとんどの学生映画が5万未満で作られてた時代ですから、
結構贅沢な予算です。)
★脚本
まず監督は自分でやると言う線は譲らず進めて、
撮影は夏休み中と決めて
脚本を文学青年のクラスメイトと一緒に書き上げます。
シナリオは一ヶ月ぐらいで仕上げて、
ここから今では考えられないめんどうな作業なのですが
出来上がったシナリオを全部ガリ版に仕上げて、
印刷して、製本するこれに一週間ぐらい要したと思います。
★キャスティング
そしてキャスティング、基本全員クラスメイトから選ぶのですが、
わりかし重要なキャストは
普段あまりクラス活動に参加しない、
いわゆるヤンキーグループの面々にお願いしました。
理由は彼らや彼女らは皆、カッコイイ人が多かったからです。
最初はちょっと戸惑ったようですが、最終的には皆引き受けてくれました。
主演は人気のあった落語研究会の部長にお願いして
(その後彼とは何年も一緒に映画づくりをします)着々と準備は進みます。

★衣装、美術
話がファンタジーなので、
基本ありものの衣装が使えません、
結局全部作り物になったのですが
そこは、クラスの女子がすごく頑張ってくれて、
染めたり、縫い付けたり、色々工夫を重ねて
衣装を作り上げてくれました。
小道具の剣などは安全で安く済むように、
工夫を凝らしてくれて、カップ麺の容器を使ったりして
上手く作ってくれました。
クライマックスの教会をオープンセットで建てると案には、
結構反対意見が出て、普通に教会を借りて撮ればいいじゃないかぁ
と言う意見が多かったのですが、この映画の空気感を作る為には
このセットはかかせないと説得するのに苦労しました。
自分でも説得できるほど確固たる全体像があった訳でもないのですが、
この線は譲れないと我がままを押し通しました。
そしてラストの人力飛行機ですが、イメージはりんごだったので、
自転車を真っ赤に塗ってもらって
ピンクの羽にりんごの絵をほどこした、
かなりちゃんとした人力飛行機を作ってもらいました。
これだけに、制作2週間ぐらいかかった力作でした。

★撮影
さて夏休みに入って、いよいよ撮影ですが、
ここで学校側からクレームが来ました。
それまでは、めんどくさくなりそうなので、
教師にシナリオを見せないで進めて来たのですが
出回ってる一冊を読まれてしまいました。
おしし五人衆と言う怪人が河の中から登場するシーンを
京都の時代劇のロケでよく使われる
流れ橋で河に飛び込んで、それを逆転撮影で撮る予定だったのですが、
危険だと言う事で中止命令が出てしまい、
僕がキレて大喧嘩になってしまいました。
そこで、飛び込む予定の役者さん達に、
確認したところ
『増井がやれと言うなら、俺らはやるよ!』
とのお言葉をもらったので、
強行して撮影することにしました。
しかし当日現場に行ってみると、
連日の猛暑で河の水が激減していて、
橋の上から飛んで
しまうと、骨折する危険がありました。
そこで、橋桁の真ん中から飛び込むのに方針変更、
無事撮影を終えたのですが、
その後撮影ラッシュを観ると、
そのシーンが写ってませんでした。
顔を青くしたカメラマンが平謝りでやってきて、
多分、逆転撮影のためにフィルムを送った時に
最後まで送ってしまったので、フィルムが逆転する時にひっかかるはずの、
パーフォレーション(フィルム横の穴)無くなっていて
回ってなかったのではないかと言う事でした。
ぐわし!
と思いましたが、
役者の皆さんはもう一度飛び込んでくれると言うので、
後日撮影し直しました。
実はおしし五人衆はメイクが大変で
一人作るのに90分ぐらいかかってしまうのです。
そんなこんなで見積もりの甘さもあり
撮影はどんどん遅れていきました。
今とは違って撮影必要時間の読みが甘くて、
朝の5時に呼び出して、そのまま撮影無しで
日が暮れて撮れないで終わるなどが続き、
現場で主演の女の子が泣いてしまった事もありました。
しかしめげることなく、撮影は進行していきます。
京都の繁華街での追いかけっこを撮影した時は、
はじめて警察に止められましたが、
その後
強行して撮ってしまいました。
どうしてもクレーン撮影の効果がほしくて、
肩車で立ち上がったり、カメラを紐で吊り上げたり
と色々試しましたが、結局使い物なる絵はとれなかったり。
爆竹を弾着として使うが中々タイミングが合わなかったり。
様々な試行錯誤を繰り返して、休み無く撮影を続けたのですが、
夏休み終了までに撮影は
終わりませんでした。
やっかいな事にオープンセットやクラスのほぼ全員が出演しなくては、
ならないシーンばかりが残ってしまいました。
そこで、仕方がないので、夜明け前にセットを建てに行き
(前日から建てると風で痛んでる事が多かった)
放課後集まって日暮れまで撮影する、
これがまた一日では済まないで、
結局3日同じこと繰り返しました、
2日目には撮影途中で雷が鳴り始め、
河原の中心で撮影してたので、皆が怖がって逃げ出してしまい、
カメラマンにお前は雷で死んでもいいかぁと聞いて、
快諾をもらうと、皆に
『もし雷が落ちるなら、一番最初にカメラを持ってるカメラマンに落ちるはず、
彼が死んでも問題ないと言ってくれてるので、皆安心して撮影場所に戻ってくれー
カメラマンに雷が落ちたら逃げてもいいよ!』
と訳わからん事を叫んでいたのを憶えております。
その後も放課後撮影は続き、
ラストのお山頂上で人力飛行機で飛ぶシーンのみを残す事に
なりました。
*******************
問題はかなり文化祭の日にちが迫って来ていたので、
休日まで撮影を待ってる余裕が無くなって
いた事です、このシーンもまた大量に人がいるのです、
放課後まで待ってると日が暮れてしまい
とても撮影終え切れません、
そこで申し訳ないが授業をサボれる人はサボって来てくれないかと
声をかけたところ、クラスのほぼ全員が来てくれたので、
なんとか撮影は無事終了。
でもクラス皆が授業をサボった事が
学校で問題になってかなりもめたようです。
この撮影後、自分は編集のために学校に行かなくなったので、
どのように揉めたのかは、
よく知らないのです。
★編集
さて自分が映画作りの中で一番好きな編集作業です。
このころは細かいカット割りをしていたので、
その短いカットが繋がって、ひとつのシーンが
出来上がっていくのが、すごく快感でした。
撮影期間中からほとんど寝ないで作業を進めていたので、
この頃にはかなり疲れが溜まってたのですが、繋がっていく面白さで、
アドレナリンが出るのか、編集はさくさく進んでいったように記憶しております。
ただ、その時学校から連絡が来て、
古文の授業はあと一回でも休むと、
出席が足りないので、卒業できないよと連絡が来たのです。
締め切りの文化祭が迫ってたのですが、
まぁ一時間ぐらいたまに授業を受けるのも、
空気が変わってよいかもと考えて、
古文の授業だけ顔を出しました。
結局は授業中ずーっと爆睡してたのですが、
僕が狂ったように映画を作ってる事は先生方にも
知れ渡ってたみたいで、寝ててもそのまま放置してくれてました。
******************

そうして編集は進んだのですが、
残りの時間を考えるとかなりヤバイところまで
追い込まれてきました。
当時はフィルムに録音するために磁気コーティング
してもらう作業が必要で、それに1週間ぐらい
かかったのです。

逆算するとこのままでは録音の時間が取れなくなってしまいます。
そこで、仕方なく完成してない部分はとりあえず、
必要なカットをつないで、コーティング作業に
出しました。
そして一週間の間に音素材などの準備をして
フィルムの帰りを待っておりました。

★録音
さて当時の8ミリ映画はまだ2トラックの映写機が出たばかりで、
ほとんどの人が持ってませんでした
学校にあったのも1トラックの映写機です。
1トラックしか無いと言う事は一度の録音で、
台詞、効果音、音楽などをバランス良く
録音しなくてはなりません、
今考えると生演奏の音楽は別取りすればよかったのですが、
何故か当時は映写機を回しながら、
演劇の音効のように役者が台詞を喋る横でギターの生演奏もやり、
同時にミキサーで混ぜて効果音も入れてました。
ゆえにどこかのポジションにミスがあっても全部やり直しで
手間は食ったのですが、
この全部一発で成功しなくてはダメと言う緊張感はなかなか楽しくて、
上手くいった時などは皆で大拍手でした。
機会があれば昔のトーキー映画の現場のように
撮影の横で一緒にオーケストラが演奏している
撮影をやってみたいなぁと思っております。
********************

さて放課後は録音、家に帰ったら編集を繰り返していくのですが、
いよいよ文化祭の日にちが迫ってきました。
このペースでやっててはとても間に合いません、
そこで最後の2日は皆泊まりこみで、
僕が編集してる横で皆が録音を進めると
言う形になってしまいました。
皆寝ないで進めたので、最後の方はかなり変なテンションになって、
白い森の仙人音頭をみんなでアドリブで歌ってたときは
異常なハイ状態だったと思います。
そして上映当日、まだ映画完成してませんでした。
***********************

上映開始時間ちょうどぐらいに
やっとクライマックスの結婚式シーンを終えて、
人力飛行機のシーンはまだ編集途中でした。
そして結婚式からコロナがオーロラを奪略して
逃げ去るカット観た誰かが
『増井、これで終われるんじゃないか?』
つぶやきました。

どちらにしろ上映開始時間です。
作業場から学校まで40分はかかります。
すでに遅刻確定なのですが、
何も上映しないよりはここまで観せた方がええやろぉ
と言うみんなの意見に従って上映会場に向かうことになりました。
★上映会
かなり凝った宣伝活動してたこともあってか、
90分も遅れて始まったのに
会場は人があふれておりました。

この時の完成尺は90分もありました。
全部繋がったのを一気に観るのは誰もが始めてでした。
もちろん自分も各部分は個別にOK出しながら仕上げてきたのですが、
ちゃんとはじめから
観たのは初めてです、
そして観た感想は、
これは酷い物をつくったなぁでした。
もともとあったイメージは10%も作り上げれてなくて。。
これはひどいなぁと思ったのです。
自分としては体力も知力も限界まで出し切ったから
まぁしゃないないなぁと思いました。

そして上映終了後、上映が遅れても皆待っててくれたのだから、
お詫びの挨拶をしなさい
と担任の先生に促されて、裏のブースから会場に出ました。

その途端、すさまじい拍手が起こったのです、
長い間待ってもらった上に、ひどい映画を
観せて罵倒されても仕方ないなぁと思って会場に出たので、
この拍手の嵐には驚きました。
そして、歓声が上がって皆がよくやったと叫んでくれてるのでした、
自分はこのとき不覚にも
この拍手で泣いてしまい、
まともに挨拶ができないで終えてしまいました。
********************
さてこの日は文化祭の最終日だったのですが、
自分は中華料理店のバイトがあったのを
思い出し、色んな方に打ち上げの
キャンプファイヤーに誘われてたにも係わらず
疲れた体でバイト先に向かいました。
そしてオーダーをひとつ取ったまでは憶えてるのですが、
その後は闇が襲ってきて
気がつくと店のカウンターで閉店まで寝てしまってたようです。
オーナーのおばさんは怒る事無く、
自分にまかない飯をだしてくれました。
この時食べたから揚げの美味しさは今でもよく憶えております。

★後日談
受験の大切な時期にも係わらず、
過酷な撮影に耐えてくれた、クラスの皆には
自分は妙な負い目みたいな物を感じておりました。
その頃男はつらいよの寅さんに憧れていた
自分は卒業後は日本中を旅して回ろうと決めていて
進学も就職も関係ないお気楽な状態だったからです。
そこで、なにかクラスの皆に報いたいと考えて、
映像コンテストに応募することにしました。
自分では相変わらず酷い物を作ったと思っていたのですが、
評判は何故か良くて
いつもは敵対することの多かった
教師連も応募を勧めてくれました。
そして優秀賞を頂ける事になり、
気をよくした学校が
出張費用を出してくれると言う事で
担任、監督、カメラマン、主演で東京の授賞式に向かいました
この時の旅の楽しさは今でも心地よく憶えています。
そして、この受賞作品の上映会で
手塚監督の『FANTASTIC★PARTY 』を観てしまい
未だに映画をつくる事になってしまいました。
正直、『王将餃子 de ムービー』を作った後は、
映画をまた作る気など全然ありませんでした。
やりたい事はやったし、出来は悪くとも自分のやれる事は
限界までやったと思ってたので
これから先は寅さんのように生きて行こうと思ってました。
所が『FANTASTIC★PARTY 』を観てしまった事で、
同じ高校生でこんな面白い映画を
作る人達がいるなら、自分ももう一本作ってみようと
考えてしまったのです。
そして、手塚監督の学校あてにファンレターを送った事から
交流がはじまって
ムービーメイト100%の今関あきよしさん、小林弘利さん、湯本さん
達に出会って次の映画づくりへと
向かっていってしまうのです。
映画のラストは結局その後も走り去るふたりの後ろ姿で終えた方が
しっくりきたので、人力飛行機のシーンはカットされたまま
完成になってしまいました。

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