増井 公二Koji Masui
- 生年月日
- 1960年9月12日
- 出身地
- 京都
増井 公二Koji Masui
中学生の時、漫画家を目指すが、絵が下手でデッサンにデッサンの日々を送るも上達せず苦悩する。
映画鑑賞は好きで年間100〜200本の映画を観ていたが(現在は総数1万本以上鑑賞)たまたま観た、高校生の作った8ミリ映画に触発され開眼!
自分でもお手軽に映画が作れると知り『映像なら、そこにあるものを撮ればいいだけ、絵が下手でも大丈夫!』と安易に考えて映画をつくるためだけに高校に進学、映画づくりを始める!
以来30数年『これで映画作りをやめてもいいや!と思える作品を撮れたらやめる!!』と叫びながら、撮りたい、関わりたい作品に携わり、作り続けております。
映画は集団で創るもの、そのためには人との出会いが大切と考え積極的におもしろいと感じた人に会いに行きました。
下記は影響を受けた作家の皆さんとの主な出会いの記録です。
共通の友人を通じて出会う、映画グループ『関西映画屋連合』を結成し、自分達の作った作品を関西各地で上映。
『夢来』のシナリオを共同で執筆『プールの見えるコカコーラ』西田俊也監督 (沖縄ロケ分カメラマン)などお互いの作品に協力する。
高校生の時、お互いの作品が受賞した映画コンテストでお互いの作品を気に入って一緒に上映活動をはじめる。その時一緒に活動した監督に、今関あきよし監督、小林弘利監督もいる。その後も現在に至るまで、手塚監督の演出部に関わることが多い。
カメラマンとして参加した作品に『手塚眞のホラーシアター ザ・バースデイ 』『893239・練馬区編・撮影やくざ』などがある。
初期の山本政志監督にかかせなかった役者でもあり、自身が主演して『若人を撲殺しよう』と言う怪作も監督している。
『夢来』で海賊になりたかった男(余島よのしま)を演じてもらっている間共同生活が続き、映画づくりに関して、様々な影響を受ける。
奥村さんとの出会いによって、細かいカット割りをしていた作品が芝居を切らない長回しをするスタイルに変わっていく。
同時期に山本政志監督とも出会い、その過激な映画製作手法にも影響を受ける。
映画の制作を長年に渡りカメラマンや編集、出演などで協力し合う。数年共同生活をするなど、公私に渡りものづくりに関して相談しあってきた仲間。
『夢で逢いましょう』で出演のオファーをされて出会い、気に入るまで何度でもリテイクを繰り返す、根性に感嘆!その後自身のプロデュース作品『ひととしっく』で監督を依頼したり『893239』(ヤクザ23区)で『世田谷区編・やくざと地底人間』を依頼近年まで続く映画製作仲間です。
『夢で逢いましょう』では、一瀬隆重(プロデューサー、映画監督)尾崎将也(シナリオライター、映像作家)など数多くの映像作家と出会い影響を受ける。
他の人考えた企画のオファーを受けた事なかった増井が初めて一緒にやる気になった役者さんでありプロデューサー。
当初は辻本氏の主演するバドミントン映画の監督として色々準備に奔走するも映画の企画は進まず、その間にAV『人妻弁当シリーズ』の監督とカメラマンとして作品を作ったり、やくざ映画の短編集合ムービー『893239』の制作をするなどそのパワフルな人柄と才気に惹かれて創作活動を共にする。
今後もそのパワーに期待するプロデューサーであり役者さんです。
プロモーションDVDの制作を通じて出会い、そのピュアな創作姿勢に感銘を受ける。
ボーカルの白崎映美さんとは何かまた面白いことやりましょうと、常に考え『893239・品川区編・うたわないやくざ』に歌の女王として出演してもらうなど今後も何か面白いことをやりたいと思案中!!
※ここから数年は撮影、製作、などスタッフに専念
※ ここから数年はアダルト業界の仕事を好んで、こなす多数の風俗ガール紹介ムービー制作(約100本)とアダルト作品のカメラマン、編集『人妻弁当シリーズ』など
※ 好きに撮っていいから監督しないかと依頼いただくも、自分の中のエロが整理できずに撮れずじまいでAV監督作品は無し
※この後数年、デザイン系の仕事に従事しながら充電期間